ユネスコ「世界の記憶」登録

智証大師円珍関係文書典籍
―日本・中国の文化交流史―

国宝 太政官給公験牒 (先本)
国宝 智証大師坐像 (中尊大師)

ユネスコ「世界の記憶」登録
智証大師円珍関係文書典籍

ユネスコ「世界の記憶」に登録された史料群は、三井寺と東京国立博物館が所蔵する国宝56件からなり、日本仏教ことに天台学や密教の興隆に尽力した智証大師円珍(814~891年)が残した広範な分野にわたる史料群です。

9世紀に円珍が唐に留学したときの史料は、当時の日中両国にわたる文化交流を如実に物語るもので、なかには円珍が唐の役所から交付された通行許可書「過所」の原本も含まれており、唐の法制度を示す貴重な文書であるばかりか、良好な状態で伝えられた世界唯一の伝存例として知られています。また、日本の国家制度の確立にまつわる公文書や円珍への祖師信仰を示す自筆文書など9世紀に遡る多様な史料からなっています。

三井寺では、当山の祖師である智証大師円珍の業績並びに文書典籍の世界的な貴重さを広く伝えてまいります。

現在、三井寺文化財収蔵庫で「智証大師円珍関係文書典籍」(一部)を公開しています。

智証大師 円珍日本仏教史に残る平安時代の高僧

智証大師 円珍(814~891年)は、ことに比叡山に天台宗を開いた伝教大師最澄、 慈覚大師円仁とともに「天台三聖」と称され、三井寺を総本山とする天台寺門宗の祖師として仰がれています。

円珍は弘仁5(814)年、いまの香川県善通寺市に生まれました。15歳のとき、比叡山に登り、 初代の天台座主・義真の門弟となります。円珍は豊かで鋭敏な感性をもった人物で、25歳のときには、三井寺の秘仏となる日本三不動の一つ黄不動尊を感得しています。

仁寿3(853)年には、唐の国に渡り、5年間にわたって天台山や長安の都などを巡礼し、天台学や密教の研究に励みました。天安3(859)年に帰国を果たした円珍は、三井寺を天台別院として再興し、唐から持ち帰った経典類を三井寺の唐院に納めました。このなかには国宝・五部心観をはじめ貴重な文献図像類も含まれており、円珍が伝えた密教は大きな影響を及ぼしました。

貞観10(868)年には、第5代の天台座主となり、寛平3(891)年に78歳で入滅されるまで、23年の長きにわたって仏法の隆盛に尽力されました。 延長5(927)年には、その偉大な生涯を讃え、醍醐天皇より「智証大師」の諡号が贈られています。

三井寺 国宝金堂
三井寺 唐院

智証大師入唐求法の足跡